烏の濡れ羽色の
私が見出した光。
その目が嫌いだったのだ。見下すような、クズを見るような、自分がまるで全裸を見られているような屈辱と羞恥心を髣髴とさせるその目が、ウィンクスは嫌いだったのだ。
服も髪も乱れ、目も当てられないような悲惨な状況の妹を見てさえ眉一つ動かさないその男にウィンクスは白くなるほど手を力強く握りしめた。そうでもしないと、これ以上惨めになりそうで恐ろしかった。
「…あの程度のおつかいもお前はこなせないか?ウィンクス」
冷たいため息に肩がビクリと跳ねた。
媚を売ることに躊躇いがないわけではなかった。素肌を見せることに羞恥があるわけではなかった。綺麗な体が、惜しいわけでもなかった。言い訳は所詮言い訳でありウィンクスの仕事の段取りがすこぶる良くないのは不変の事実だった。
「一度頭を冷やすことだな。しばらくは顔を見せるな」
冷徹な言葉に逆らう術はなかった。椰蜘蛛会を統べる男、ウィンクスの異母兄ヤグモの言葉ほどこの場で絶対のものはない。そして、この場においてウィンクスの立場ほど軽いものはない。生まれたその瞬間からこの家にウィンクスの居場所はなかった。
たった今捨てられたウィンクスを下品な目で見る黒いスーツの男共の視線が気持ち悪い。これ以上、汚れることも惨めになるのもごめんだった。
せめて堂々としていたかった。ここで怯えれば、ウィンクスにはもう守るべき最低限のプライドさえなくなる気さえしていた。つまりは、意地なのだ。
「出て行く前に俺の相手をしねぇ?」
ウィンクスにニヤニヤと絡んだ男を力の限り腕を引き勢いでそのまま倒す。
「うるさい。道を開けろ…二度と私に下世話な話題を振るな、畜生共」
静かな声だったがそれはこの空間に響いた。ウィンクスは迷いない足取りで広間の出口へ向かう。その背中に向けられていた視線は、やはりウィンクスの嫌いなそれであった。
アントーカは路地裏で何か動いた気がしてそちらに目を向けた。暗闇の中には何も見えない。首を傾げてから近付く。好奇心が強い方なんだ、と口の中で呟いて。
「んー…なんだ、猫じゃん」
「…何よ、あんた」
猫、というか猫みたいな印象を受ける女。プライドん高い印象を与える強い目の女だった。
アントーカはとりあえず、と適当に上着を放り投げる。
「とりあえずそれどうぞ」
「…どっか行きなさいよ」
上着は一応着はしたが警戒心は消えないらしい。どっか行け、という言葉にアントーカは従おうとしたがあ、と声をあげる。
「なぁ、お前行くとこないの?」
「…帰る場所はどこにもないわ」
「へー」
うんうんと頷くアントーカを女は訝しげに見ていた。
「じゃあさ、アンタ俺に拾われてみねぇ?」
「…?」
「俺はアントーカ。これから歴史に名を刻む男だね。ところでアンタ書類整理とか事務仕事出来る?」
「まぁ、人並みには」
「あ、あとお金、スキ?」
お金が好きか、とはまた風変わりな質問である。いや、路上に捨てられた女ほどではないか。少し遅れて女は頷いた。
「人ほど簡単にお金は裏切らないわ」
「成る程、真理だ。アンタわかってるね」
ニッと笑うとアントーカは女に手を差し伸べる。
「お前、俺が拾ってやるよ」
どこまでも上からな言葉に、されど対等に差し出された手を見て女は笑い出した。
「ふふっあははっ!普通道端の女をホイホイ拾う!?…いいわ、クソガキ。拾われてあげるわ」
そう言って女、ウィンクスはアントーカの手を取った。
小さな事務所でウィンクスはため息をついた。
始まったばかりでまだまだウィンクスとアントーカの道は前途多難である。
アントーカに拾われたウィンクスが連れられたのは小さな小さな銀行だった。あれからアントーカの才能はかなりのものだったらしくすぐに小さな発展を繰り返した。それでもまだまだ小さい。
手っ取り早くコネを作るならば、とウィンクスは頭にあったそれを実行に移そうと事務所の扉に手を伸ばした。体でも、売ればいい。今更である。第一に大きな発展を得ようとすれば必要になるのはクロい方法である。少なくともそういう世界しか見てこなかったウィンクスはそのような手腕しか知らないのである。一般人の生活は、誰かの思惑の上に成り立つのだ。
ふとウィンクスの手を横からアントーカが掴む。
「…何、クソガキ」
「何をする気だ?」
その顔に張り付いた笑みはウィンクスの思考を奥底まで見通してるような錯覚さえさせる。純粋に、不安が這い上がってくる。
「ダメだ」
「…何が」
「ウィンクス、お前を拾ったのは誰だ?」
「…アントーカ」
ウィンクスは呆然と掴まれた手を眺めた。アントーカは笑って囁く。宥めるような、優しい声音。
「ああ。アンタは俺のウィンクスだろうが」
「アントーカ…?」
「俺のものを粗雑に扱うな」
ウィンクスは矢鱈に自分の体を乱雑に扱った。徹夜も過労も、暴力沙汰や強盗に首を突っ込みやすいのも。
アントーカの宥めるような声音に、初めて自分の居場所というものを認識したような気になった。冷めた世界で初めて見た色に、それはあまりにも似ていた。烏の濡れ羽色の瞳は、子供に向けるように優しく細められていた。唇を噛み締めてうつむくウィンクスは、涙こそ出ていないが確かに泣いていた。
もうちょい続きあったんですがちょっと訳あってここで区切ります。かけるようになったら加筆します。
ウィンクスと、アントーカ。
クソガキと、俺のウィンクスと。